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ちょっと昔話でもしてみるかな。ボクはかつて、個人では日本で一番G-SHOCKを売ったという自信がある。
by THE SPYMAKER  

ちょっと昔話でもしてみるかな。ボクはかつて、個人では日本で一番G-SHOCKを売ったという自信がある。そのきっかけは一人の成績が悪いカシオの営業マンだった。

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パテックフィリップ スーパーコピー人生には、ちょっとした出会い、そして幸運が重要である

そしてボクは、これまで幸運に恵まれてきたと考えている

さて、G-SHOCKがあの「ジェイソン」を復刻したことでちょっと昔のことを思い出したので、ここでそれについて述べてみたいと思います。

かんたんに言うと、ぼくは過去にG-SHOCKを販売していたことがあって(個人レベルでは日本で一番G-SHOCKを売った人間だという自信がある。ただしエビデンスはないけど)、それによってある意味で大きく人生が変わったという話ですが、まあそれだけの話です(そこに教訓や成功の秘訣があるわけではない)。

まず、この物語のスタートはぼくがまだ10代後半だったころに遡ります。

その頃、G-SHOCKは全く人気がなかった

Gショックは今年で40周年を迎えますが、発売当初、そしてしばらくの間はイマイチ人気がなく、カシオの営業マンの多くは「どうやってG-SHOCKの販売店を増やすか・・・」と頭を悩ませていたわけですね。

家電量販店やホームセンターでは扱いがあったものの、カシオはそれに限界を感じていて、しかし1994年の映画「スピード」にてキアヌ・リーブスが着用したことからファッションピープルも注目するようになり、そこでカシオとしては「G-SHOCKをファッションアイテムとして売ろう」ということになったもよう。

そこからカシオの営業マンはひたすらセレクトショップやブティックに営業をかけることになるのですが、そこでぼくとカシオの営業マンとが劇的な出会いを果たすことになります。

その日、ぼくは馴染みの古着屋にたむろしていて、そこにやってきたのがカシオの営業マン、A氏。

A氏は古着屋の店主にG-SHOCKを売り込み、店頭に置いて欲しいと頼むものの、店主は(アンティーク腕時計が好きだったので)「いやーカシオのデジタル時計はちょっと違うんだよねえー」といった感じで首をたてに振ることはなく、しかしここでA氏が驚きの行動を取ったわけですね。

A氏は一瞬黙って下を向き、何を思ったか自分が身につけていたG-SHOCK(DW-5000)を外して思いっきりお店のコンクリートの床に叩きつけ、それからDW-5000を拾い上げて「絶対に壊れませんから」と言い、ちゃんとG-SHOCKが時を刻み続けていることを店主に示します。

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人生におけるほんのちょっとした出会いがその後の流れを変えることがある

こうなると店主もぼくも「おお」としか言いようがなく、しかしあとで聞いた話だと、A氏はいつもそういった営業手法をとっていたわけではなく、常日頃から営業成績が悪かったため、その日は「売るまで(事務所に)帰ってこなくてもいい」と上司から言われており、その日も一件たりとも契約を取ることができず、やけっぱちになっていたとのこと。

その八方塞がりの状況が「一見して暴挙とも言える」行動を彼に取らせたということになりますが、ぼくはこのときのG-SHOCKの強靭さ、それを証明したA氏の行動にいたく感銘を受け、「これは売れる」「A氏が売れないのであれば、自分がそのぶん売る」と思ったわけですね。

そんなこともあって、カシオの営業マンであるA氏はその古着屋にG-SHOCKを卸す→そしてぼくが営業をかけてG-SHOCKを売りまくるという関係性が始まったのですが、ぼくが売るG-SHOCKについてはぼく自身がお金を払って仕入れており(伝票だけは古着店経由だった。個人だとカシオに口座を開けないので。そして古着屋も在庫を持ちたくない)、つまりぼくにも相当な在庫リスクがあったということになります。

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ただ、そこからは世の中の流れが味方をすることになり、くだんのジェイソン、イルカ・クジラ、ラバーズコレクションといったヒット商品をカシオが連発し、しかし意外とよく売れたのは登場したばかりのBaby-G。

意外かもしれませんが、当時Baby-Gはキャバ嬢に人気があり、そのキャバ嬢に取り入るためにオッサンがBaby-Gを買いまくるという構図ができあがっていて、そしてこれは限定ではなく本数が豊富にあったために相当数を販売したことを思い出します。※ゴルフやリゾートへ行くときに身につける腕時計として人気があったようだ

当時ぼくは販売した本数を数えていたわけではありませんが、契約を取った販売店には専用の展示ケースとともに収めていて、この展示ケースは(ぼくがあまりに本数を売るので)カシオがタダで用意してくれたほど。

そして展示ケースを設置すればあとは「売れた分を補充するだけ」という楽な仕事になるのですが、設置した店舗は240ほどあったと記憶していて、1店舗あたり1週間では平均して20本ほど売れており、これに販売した期間をかけると「数万本」は売ったという計算に(G-SHOCKの累計販売本数は1億3000万本である)。

これがカシオの中でどれくらいのポジションだったのかはわかりませんが、A氏は史上最年少で営業所長になり、さらにその後営業本部長にまで出世し、ぼくには「頼めば頼んだだけ」どんな希少な限定モデルであっても回してくれたので、おそらくはかなり上位の販売本数を誇っていたのは間違いないかと思います(当時、色々な話を聞く限りでは、法人ではなく個人レベルだと日本で一番だったはずだ)。

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ボクはなにかと運が良かった

そして「ジェイソン」についてもう一度触れておくと、これはカシオが発売した突然変異でもあり、「黒くてゴツゴツした」腕時計という特徴であったG-SHOCKのラインアップ中、珍しく「丸くてカラフルな」腕時計。

よって「G-SHOCKらしくない」「ファンシーすぎ」「男っぽくない」という風評があり、大量にカシオが在庫を抱えてしまい、それに困ったA氏は(当時すでに営業所長になってた)ぼくに対して「なんとか引き取ってくれませんかね・・・」と頼むことになり、ぼくは気前よく余っているジェイソンを引き取ったわけですが、そこからまさかのジェイソンの大ブレイクが起きたわけですね。

ただ、ぼくはジェイソンはじめ人気モデルや限定モデルをプレミア価格で転売したことは一度もなく、新規販売店獲得のための飛び道具として使用していて、これによってまた多くの実績を上げることができたとも考えています(転売による利益は一過性のものであり継続性がない。であれば永続的に利益が上がる方法を考えた方がいい)。

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こうやって考えると、A氏との出会を通じ、その後のGショック人気、Baby-Gのキャバクラ人気、イルクジやラバコレ、そしてジェイソンなどのG-SHOCK黄金期を当事者として過ごしたわけですが、これについては「単に運が良かったなあ」とも考えています(ぼくは基本的にラッキーな人生を歩んでいる)。

ただ、ひとつだけ運が悪かったのは、その古着屋がちょっとした犯罪に巻き込まれて閉店してしまい、よってカシオからの仕入れルートが絶たれてしまったことで、当時自身の会社を作ってG-SHOCKを販売し続けるという選択肢もあったのですが、そこでスッパリと「ビジネスとしてのカシオ、そしてG-SHOCKとの関与」を断ち切っています(これについても後悔はない)。

そういったこともあり、ぼくにとって「G-SHOCKを腕に巻く」というのはちょっと特別な意味があるわけですね。